Sailing in the Dawn

残酷な運命も変えなくていい。

アイドルを応援するということ

 

Mステの風磨はゴキゲンでしたね〜。

(o'ω'o)「プレゼントは…俺でいいかな…?///」

(o´ω`o)「そんな中島は昨日パーマをかけました」

ゴキゲンの理由が熱望してた健人のパーマだとしたら可愛くて悶え死ぬ。 しかも美しき背中合わせを見せつけたあとってあたりがもうしんどい。しんどい!!!すき!!!

 

ていうか…


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何これ。

キレイすぎて言葉でない。聡マリもふまけんも手の高さがカンペキ。シンメって素晴らしい。すき。ほんと好き。

 

 

この衒いもなく「すき!!!!」って言える「アイドル」を応援する日常が久しぶりに戻ってきて、私の中ではやっぱりこれが通常営業なんじゃないかとおもいはじめてる。

 

私はバンドも大好きでジャニアイいきたい!!!と同じテンションで、MASHROOM(※とあるレーベルに所属するバンドが年1回集まるイベント。毎年1000人弱しか当たらない)に行けるのマジ感謝!!!!って思ってる人間なのだけれど、でもわたしは舞台上の人間と客席にいる人間はきっちり分けたいとも思ってるんですね。特に10年代のバンドマンはTwitterがあるのが当たり前なので、Twitterという自分の日常のなかに舞台上にいるはずの彼らの呟きが出てくるのは違和感だし、ファンと直接ふれあい始めちゃうからなんかこわいし、私生活が見えてるのも嫌なの。わたしはステージに立った時かカメラに映ったところが見えれば良くて、それがかっこよければそれで良くて、それ以外はどうでもいい。っていう思考をどこで手に入れたかって考えたら、たぶんジャニーズだよなぁって。

ジャニヲタの愛情の表現の仕方って本当に十人十色で、絵を描いたりこうやってブログでひたすら想いを吐き出したり小説を書いたりなんでもありで、どんな応援スタンスでヲタ活動してるかってのも人それぞれで。その中で私はそういう応援の仕方をしてきたってだけなんだけど。

ただ、私のこのスタンスにたどり着いた前提として「私は彼らのことを何も知らない」ということを考えていて。

本当のことは何もわからない、いつも何をしていていつも何を考えていてどこに住んでいてどんな生活をしているのか、どんな人間なのか、本当のことは何も知らないんじゃないか。カメラのないところでどんな努力をしていて、どんな苦労をしていて、どんなことに悩んで、どんなことに傷ついているのか、私たちは知る術がない。カメラの前でだって、本心で喋っているだろうか?本当に楽しくて笑っているだろうか?私には目に映るすべてが真実だと言い切る自信が無い。

 

でも私はアイドルを応援するのは、どんなことが私の知らないところで起きていたとしても、ステージ上では一生懸命に完璧に「アイドル」である姿が素敵だからじゃないか。どんな日も笑顔でいるからじゃないか。その裏でどんなことが起きていたとしても。そして、その裏側を、私たちが推し量ったり妄想したり、時には事後報告で舞台裏を知ったりして、勝手に舞台上の彼らに共感したりするのが性に合ってるのだろうな、と。

バンドを応援する時も、当然、その歌を作って演奏する彼ら自身を応援するのだけれど、突き詰めれば歌が好きじゃなくなれば応援するのは難しい。でもアイドルのファンであるというは彼ら自身、そのものを応援するということであって。時には本当のことを知って悲しい思いもするし、彼らの力になれることは一つもないような無力感に襲われることもある。でもこの「遠さ」が、純粋に彼らを応援できる理由でもあるんじゃないか。本当のことを知らないからこそ、私は彼らのことをどこまでも信じてるし、信じられる。そして今日も、近くて遠い存在の幸せを勝手に願う。

 

ジャニヲタなんて、ただの面食いだってバカにされることもあるけど、そんな簡単な理由で彼らを応援してるわけじゃないんだ。でも、そんなことをバカにしてくる人に説明したって分かってくれないから、どうしてもここに書きたかった。

 

彼らが今日も幸せでありますように。