Sailing in the Dawn

残酷な運命も変えなくていい。

KAT-TUNとの歩みを振り返るの巻

前のエントリーのつづきです。

時は移り変わって2008年。
KAT-TUNが新種の生物をくっつけたスタンドマイクで歌うりっぷすが絶好調なころ、私は高校受験に挑んでいました。
結局リップス発売週かそのつぎくらいに第一志望に合格して、わたしのKAT-TUN沼は次のステップにすすむのです。

1、祝KAT-TUNのCDを初めて買う
2、祝KAT-TUNのコンサートに初参戦
3、祝ジャニショ&ファミクラ初体験

義理堅く買っていたNEWSのCDがSUMMER TIMEで終わっているのは至極当然のことで、なんでかというと同時期に発売されたDON'T U EVER STOPを買い、女王コンに参戦し、完全にノックアウトされたからである。ホント、簡単。

なにせ、どんえばがすごい。カメ的にいうとどんちゅーらしいけど。
ところでみんな四文字に略すのなんで?
リモコン、リアフェ、パソコン、シグナル、、、おっとシグナルは略してない
Mステでもまさかの三週連続披露からも分かる通り、4種形態発売とはいえこの年の売上ベスト10に入ったし、この曲はノンタイアップ、それでも物凄い人気だった。タモリさんもびっくり。衣装も曲もダンスもジャニーズとは思えない方向性だけど、これこそがKAT-TUNだったとおもう。
さらに「KAT-TUN Ⅲ-QUEEN OF PIRATES」もアルバムとしてなんだかもう、ものすごかった。KAT-TUN×海賊に無限の可能性を見出したわたしは、夏休み、部活の合宿前日で休みをもらって、なれない化粧に四苦八苦しつつ、意気揚々と出掛け、11時から張り切ってグッズ列に並び、雷がなり始めた16時半にははやくも会場入りし、21時過ぎにドームから出てきた頃にはもうものすごいテンションだった。
まず、赤西さんはじめKAT-TUNというテレビの液晶越しでしか見たことのなかった存在が、ちゃんと肉眼で確認できることに感動したし、しかも赤西さんと同じ屋根の下にいることに興奮するレベルで、完全に発病していた。そうこれは恋の病。どうしよう、いま同じ空間にいて、同じ空気すってるとか思ってた。へんたいすぎる。
さらにいえばコンサートではなくライブと呼ぶのが正しいKAT-TUNのパフォーマンスが好みどんぴしゃで、ストーリー仕立てのセットリストにどきどきして。カッコよすぎてはくかと思った。ビジュアルも樋口亀梨を除いて完璧に近かったもんなー。樋口亀梨を覗いて。ほんとに。衣装もゴッテゴテで。KAT-TUN×海賊の図式を生み出したという点において、本当に赤西さんがKAT-TUNにいた意味がありすぎる。親和性たかすぎる。どうなってるの。

あ、話進まないから無理やり進める。

ホワクリ、ワンドロ、レスキューと順調に沼に引き込まれる私、その間に女王コンの円盤も買ってるし、貧乏高校生だったけどM誌は毎月買ってたから、ホント当時はKAT-TUNしか見えてなかった。すごかった。ちなみに、このころNEWSのコンサートに参戦してがっかりするという出来事もあったりする。これがジャニーズ、、、!と思うのと同時に、みんなで仲良く楽しみましょうの空気がどうしても耐えきれなかった。周り全員振り完璧だったし。楽しかったけど楽しみきれなかった。KAT-TUNなんか簡単な振り付けがほんとに無いから結構好き勝手できて、それが今の私の邦ロックでのライブの楽しみ方にもつながってる。
ということに最近きづいた。

そしてやってくる8日間連続東京ドーム公演!私が選んだのは取りやすそうだからという理由で月曜日。田口の回である。
女王コンと比べてスケールアップはしたけど、あの作り込まれた世界観が好きだった私は惑星コンはそんなに惹かれなかったのは事実。でもまあ当日にそんなこと思ったはずなんかなくて、スタンド二列目ということもあって、あの亀梨和也が外周ギリギリを走った時にほんとすぐそばに来てくれて失神しそうだった。
あと、青天の霹靂とかいう神曲聞けただけであの日に行ったかいがあったというものよ。ほんとうに。

その年の夏はごくせん映画見に行ったりはしたけど穏やかなヲタ活動していて、不穏な空気を感じ取ったのはようやく冬に差し掛かった頃。映画の宣伝で赤西さんがひとりでテレビや雑誌に出てきた時。ソロコンはもともとは気にならなかった(マウピもあったし)けど、バンデイジの宣伝が始まってから、嫌な予感はしていた。いつでもサングラスを取らない赤西さんの姿。そしてKAT-TUNのツアーと、シングル不参加のお知らせ。

そして彼は帰ってこなかった。

嫌な予感はしていたものの実際につきつけられるとものすごく動揺して、取り乱して、朝ごはんも食べたのか、その日の模試はちゃんとまともに受けられたのかも覚えていない。ただひとつ、模試が終わったあと、心配した母が会場まで迎えに来たのは覚えている。よほどひどかったのだとおもう。
受験勉強に打ち込むことで忘れようとしたなあ。世界史のクラス分けがかかったテストが7月末日にあって、それに向かって必死に勉強して、なんとか乗り切った。おちついてきたころ、誰かのブログで発表の次の日の公演で、聖が泣いていたことやその他もろもろ聞いて、ようやく平常に戻った。

Going!はトラウマ。冒頭の聖のGoing!が聞こえた瞬間、早送りしてた。正直今もこれだけが全然好きになれない。5人のKAT-TUNは、あいた穴が大きすぎて別物のようでいて、穴は一つだからみんなが必死に隠そうとしていて、それがどうしてもいつまでも受け入れられなかったのだと思う。ごくーんがわるいわけじゃない。わたしがこの事実を整理しきれないまま3年がたってしまっただけ。

そしてKAT-TUNから離れるのと同時に邦ロックに熱を上げ、2013→2014年のカウントダウンも大好きなバンドたちと大阪で過ごすことを決めてるんるんしていた頃、また船をひっくり返すような大波がやってきたのであります。

今日は5年分進んだね。やっぱり長いから今日もここまで。

なんだか自分が想定したより見に来てくれる人が多くてびっくりしてますけど、これからもダラダラ続きます。また会った時はよろしくお願いします。