Sailing in the Dawn

残酷な運命も変えなくていい。

続・アイドルを応援するということ

 

前のエントリーはこんなことを書いた。でも冷静に読み返してみると、とても怒りに任せた記事だったように思うし、まったくもって大切なことが抜けていたように思うので、追記みたいな感じ。

 

私は彼らのことを何も知らないが故に、純粋に彼らのことを応援できるし、信じれると書いた。でも、彼らのことを理解したい、どんな断片的な情報しか無くても、歌やパフォーマンスに込めた感情を知りたい、ともおもっている。当然、それは彼ら自身を応援するために必要なピースだから。それを理解することで、私は彼らをもっと好きになる。

でもそれだけじゃない、私は、MCやメイキング映像やその他いろいろなところで見られる「素」の彼らがとっても好きだ。むしろそうじゃなきゃ、ジャニヲタやってる意味が無い。キラキラで目のくらむようなパフォーマンスや、かっこよくて言葉を失うようなパフォーマンスを見せてくれる彼らが、とてもどうでもいいようなことで笑っていたり、とてもどうでもいいようなことで喧嘩していたり、狙わずして放たれたメンバーのボケに突っ込む人がいて、フォローする人がいて、爆笑する人がいて、そんな彼らのありふれた日常の世界を見るのが好きだ。それが万が一、万が一本当の姿ではなくても、それが嘘だとわかるまではそんなこと気にする必要はなくて。

KATーTUNは世間にとっても仲が悪いと思われていて、一般人には集合ショットを見せても、どんだけ近づいたツーショットを見せても、仕事ならそれくらいできるでしょと言う。でもそれが嘘か本当かは一般人にはわからないじゃないかと言いきれる存在でありたい。KATーTUNは絶対に絶対にみんな馴れ合うのが好きじゃなくて、売り出し方も相まって誤解されただけで、6人でいる時はとっても楽しそうだったと、そう言える人間がこの世にどれだけいるだろう。私はそのひとりでありたい、それはあの時代にKATーTUNのファンであった証だと思ってるから。(その点Sexy Zoneは多分絶対仲良くて、ちゃんと世間にも仲良しに見えてるのだろうから羨ましい。その分、世間には優等生グループに見えてるけれど、実はぶっ飛んだとんでもねぇグループだということはファンしか知らないんだろうなあ。)

ファンである以上、本当のことはたしかに何もわからないけれど、それでも彼らのことを一番理解している存在でいたいと、私はいつも願っています。彼らがどんな努力をしてステージに立っているのか。彼らがどんなことを考えて、ジャニーズで居続けているのか。どんなものが好きでどんなものが嫌いで、どんなことをしてる時が楽しそうなのか。それを知りたいと思ってるし、知っていると思い込んでいるし。ただ同時に、彼らには私の手の届かない存在でいて欲しいとも願っていて、それはわたしのアイドルに対する「憧れ」の部分なのだろうなと。非日常というか自分のなんでもない生活の中には存在しない人間であってほしい、みたいな。私が到底持ちえない才能を持っていて、私には到底できないような努力をしていて、私が到底理解できない類の人間であってほしい、みたいな。

 

冷静になったら、結論が前回とだいぶ違うんだけど。でも私にとって、ジャニーズは近くて遠い存在ってのは変わってないかな。素の部分を見れば近い存在に思うけれど、パフォーマンスを見ればとてつもなく遠い存在にも思えて、そしてそのギャップを味わうのが実はとっても楽しいんじゃないかとは思う。そしてその近さと遠さをもっと突き詰めたいと思うと、同時にそのギャップをもっともっと味わってしまい、あっさりと沼にハマっていくと。笑

Sexy Zoneなんかそんな考えの極致みたいな存在で。パフォーマンス中は本当に彼らは3次元に存在するのか!?こんな美しくてこんなに素晴らしい世界が本当に同じ次元に存在するのか!?って思うのに、セクチャン見ると、おまえら嘘だろ!?!?ってなるこのギャップ、、、たまらん(盲目)

 

まあ前のエントリーを含め、とても自己満な記事で、読んでくださった方には申し訳なかったけれど、ちゃんと整理しないと寝れなそうだなと思って(笑)結局この記事も勢いで書いたからグダグダなんだけど…まあ…いいや。とりあえず私は自分がジャニヲタであることがひとつのアイデンティティであり、ジャニーズという世界は私を形成する一部分、しかもかなり大きな一部分だということが、よくわかったクリスマスイブでした。

 

こんな聖夜も、寝る前に思うことはただ一つで。

彼らが今日も幸せでありますように。と。

どこぞのふまけんさんも、どうぞお幸せに。